本日のウォーキング~2012.05.20~
さて、本日は富士市の松野地区(旧富士川町)を歩いてみました。

田植えも始まっていました。

道端に咲いていた小さな花、綺麗ですね~

遠くに見えるは第2東名ですね。

富士山は、丁度、雲の中・・・o(´^`)o
距離は、だいたい5キロ程でしたが、気持ち良く歩けました( ̄(エ) ̄)v
・・・あれ、なんかウォーキングブログになっていってるような
・・・
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田植えも始まっていました。

道端に咲いていた小さな花、綺麗ですね~


遠くに見えるは第2東名ですね。

富士山は、丁度、雲の中・・・o(´^`)o
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本日のウォーキング~2012.05.18~
休日のウォーキングを再開してから、通勤時のウォーキングも本格的に再開しました。
出勤時は、まぁ最短距離で行きますので2キロ位、帰宅時は遠回りして帰るようにしてるので4~5キロ位、合わせて6~7キロ位になりますね。

帰宅途中に撮った写真です。
ここは、ウォーキングコースとしても親しまれている歩行者・自転車専用道路です。
川沿いですので、気持ち良く歩けますよ(*^▽^*)

う~ん( ̄ヘ ̄;)・・うまく撮れなかったな~~
これからも続けていこうと思っています。
続けないと、、ダメですからね~~(6 ̄  ̄)ポリポリ
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出勤時は、まぁ最短距離で行きますので2キロ位、帰宅時は遠回りして帰るようにしてるので4~5キロ位、合わせて6~7キロ位になりますね。

帰宅途中に撮った写真です。
ここは、ウォーキングコースとしても親しまれている歩行者・自転車専用道路です。
川沿いですので、気持ち良く歩けますよ(*^▽^*)

う~ん( ̄ヘ ̄;)・・うまく撮れなかったな~~
これからも続けていこうと思っています。
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読書で神話の世界へ♪
神社巡りを初めて、神社の由緒などを調べていると、よく出てくるのが「古事記」「日本書紀」そして「延喜式神名帳」とか「三代実録」といったものですよね。
不思議なもので、いつの頃からかこういった書物を読んでみたいという欲求が湧いてくるようになってきたんです。
読んでみたいと思っても、古代の言葉は読めませんので、現代語に訳された物があれば・・・って思っていたら、あるじゃないですか!!

「現代語 古事記」
さっそく買い求めて、現在、空いた時間を使って徐々に読んでおります。
かなり読みやすくなっていますよ。それに、解説もされていますしね。
でも、その解説は読まずに進んでいます。一度本文を全部読み切ってから、解説は読んでいこうと思っています。解説も読みながらだと、なんというか集中出来ないんですよね。解説を読む事によって、流れが途切れてしまう感じになってしまって・・・
読み始めて、だいたい3割位読み終わった位ですが、なかなか面白いですよ(*^▽^*)
この古事記が読み終わったら、次は「日本書紀」を読んでみようかな~って思っています。
ただ、いつになるのか・・・( ̄ヘ ̄;)ウーン
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不思議なもので、いつの頃からかこういった書物を読んでみたいという欲求が湧いてくるようになってきたんです。
読んでみたいと思っても、古代の言葉は読めませんので、現代語に訳された物があれば・・・って思っていたら、あるじゃないですか!!

「現代語 古事記」
さっそく買い求めて、現在、空いた時間を使って徐々に読んでおります。
かなり読みやすくなっていますよ。それに、解説もされていますしね。
でも、その解説は読まずに進んでいます。一度本文を全部読み切ってから、解説は読んでいこうと思っています。解説も読みながらだと、なんというか集中出来ないんですよね。解説を読む事によって、流れが途切れてしまう感じになってしまって・・・
読み始めて、だいたい3割位読み終わった位ですが、なかなか面白いですよ(*^▽^*)
この古事記が読み終わったら、次は「日本書紀」を読んでみようかな~って思っています。
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本日のウォーキング~2012.05.13~
さて、先週にひきつづき休日のウーオーキングへ行って来ました。
本日は、起点は先週と同じ蒲原から始め、先週とは逆に富士川に向かって歩く事にしました。
一旦、海岸沿いの堤防まで行き堤防を歩く感じで進む事に・・

歩いていると、テトラポッドの列が・・
どうやら、ここでテトラポッドを作っているみたいですね。
前方に見える鉄製の型でコンクリートを固めて作るようです。

富士川河口付近からの写真です。
本来なら、左の奥の方に富士山が見えるんですけどね~
残念ながら富士山は雲の中でした( ̄□||||!!
でも、よく見ると左の上の方に山頂の一部が見えているのわかりますか~??
そして、河川敷に敷かれている黒いシートの様な物・・
何だと思いますか??
実は、このシートの上で由比の名産である桜エビを干すんですね
うまくすれば、富士山をバックにしてピンクの桜エビの絨毯を見る事もできるんですよ。
あいにくと、本日は天気に時間とダメでしたけどね~~(*^.^*)エヘッ
でも、一か所だけ桜エビが干されていました。

もう、乾燥も終わって回収作業が行われていました。
さきほどピンクの絨毯を言いましたが、桜エビも、乾燥するとオレンジ色になってしまうのでピンクの絨毯が見たい時は、もっと早い時間に来ないと見れないんですよね~~
・・・さて、本日のウォーキングは約7キロを歩きました。
先週と比べると、足への負担が大分減った感じがします。
一応、平日も通勤で歩いているので、その為かもしれないですね。
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一旦、海岸沿いの堤防まで行き堤防を歩く感じで進む事に・・

歩いていると、テトラポッドの列が・・
どうやら、ここでテトラポッドを作っているみたいですね。
前方に見える鉄製の型でコンクリートを固めて作るようです。

富士川河口付近からの写真です。
本来なら、左の奥の方に富士山が見えるんですけどね~
残念ながら富士山は雲の中でした( ̄□||||!!
でも、よく見ると左の上の方に山頂の一部が見えているのわかりますか~??
そして、河川敷に敷かれている黒いシートの様な物・・
何だと思いますか??
実は、このシートの上で由比の名産である桜エビを干すんですね
うまくすれば、富士山をバックにしてピンクの桜エビの絨毯を見る事もできるんですよ。
あいにくと、本日は天気に時間とダメでしたけどね~~(*^.^*)エヘッ
でも、一か所だけ桜エビが干されていました。

もう、乾燥も終わって回収作業が行われていました。
さきほどピンクの絨毯を言いましたが、桜エビも、乾燥するとオレンジ色になってしまうのでピンクの絨毯が見たい時は、もっと早い時間に来ないと見れないんですよね~~
・・・さて、本日のウォーキングは約7キロを歩きました。
先週と比べると、足への負担が大分減った感じがします。
一応、平日も通勤で歩いているので、その為かもしれないですね。
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大垣八幡神社(大垣市)
加納天満宮の次は、少し足を延ばして大垣市の大垣八幡神社となります。
【鎮座】
岐阜県大垣市西外側町1―1
【御祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
比咩大神(ひめおおかみ)
【由緒】
天平勝宝元年(749年)より、大井荘(現大垣市)は奈良県は東大寺の荘園であった。これにより後醍醐天皇の御世、建武元年(1334年)東大寺守護神である八幡神を手向山八幡宮よりこの大垣の地に勧請した(現大垣市藤江町)。
宝徳3年6月(1451年)遮那院条済が現在の大垣市外側町の地に遷座し、遮那院代々別当職となり大垣町及び近傍18郷(大井荘18郷)の総社と称した。
天文15年(1546年)には、斉藤道三の兵火により全焼するも、慶長5年(1600年)に関ケ原の戦において、神宝伝々の記述が見られる事から、程無く再建されたのであろう。
慶長11年(1606年)大垣城主 石川康道政俊公の刀奉納、同13年(1608年)幣殿、拝殿、舞殿が建てられる。慶安元年(1648年)大垣藩初代藩主 戸田氏鉄公により再建整備が行われるなど、江戸時代を通じて厚く信仰されてきた。
明治に入ると、神仏分離令により遮那院を分離、明治6年郷社に指定。同12年県社に列せられる。
昭和20年7月(1945年)に、大東亜戦争(太平洋戦争)による米軍の空襲により、社殿が焼失するも、氏子の熱誠により、同26年(1951年)本殿復興。同29年(1954年)拝殿復興。同30年(1955年)社務所復興、現在に至る。
~神社しおりより~
この神社は、大垣駅を南西へ300m程行った所に鎮座しています。

社頭です。

社号表です。社格は旧県社に列していました。現在は、神社庁長参内神社に指定されています。
神社庁長参内神社??初めて聞きます∑(-x-;)ナ、ナニッ?!
調べてみると、どうも岐阜県神社庁独自の社格みたいなものの様です。
なんでも、例祭などで神社本庁から献幣される際、県神社庁長が参内して奉幣行事を執り行う神社の事をその様に呼ぶのだそうです。そして、この奉幣行事は神社庁長の場合は金幣をもって行われるとの事で「金幣社」とも呼ばれているそうです。同じ理由から、支部長が参内する神社を「銀弊社」、部会長が参内する神社を「白弊社」と呼ぶそうです。

二の鳥居です。
この二の鳥居の脇には境内社の天満宮が鎮座しています。


参道を進み拝殿へ向かいます。

拝殿です。それでは、参拝を(-∧-;) ナムナム

拝殿の内部です。厳かな雰囲気が漂っていますね。

本殿です。桧皮葺の流造の様ですね。

こちらは拝殿となりの境内社、出雲神社です。

そして、こちらは同じく境内社の広瀬神社・龍田神社です。広瀬神社は水神、龍田神社は風神だそうですよ。

こちらは境内に咲いていた藤の花です。

綺麗ですね~(* ̄。 ̄*)ウットリ
あと、こちらは湧水が湧き出てる事でも有名だそうで、この時もたくさんの人が湧水を汲みにきていました。
その時の写真です・・・
・・・・・あれ??
・・・・・しゃ・・しゃしん・・
・・・な・・・なーい・・・撮り忘れたーΣ( ̄Д ̄;)がーんっ!
・・・気を取り直して最後に頂いた御朱印です

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【鎮座】
岐阜県大垣市西外側町1―1
【御祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
比咩大神(ひめおおかみ)
【由緒】
天平勝宝元年(749年)より、大井荘(現大垣市)は奈良県は東大寺の荘園であった。これにより後醍醐天皇の御世、建武元年(1334年)東大寺守護神である八幡神を手向山八幡宮よりこの大垣の地に勧請した(現大垣市藤江町)。
宝徳3年6月(1451年)遮那院条済が現在の大垣市外側町の地に遷座し、遮那院代々別当職となり大垣町及び近傍18郷(大井荘18郷)の総社と称した。
天文15年(1546年)には、斉藤道三の兵火により全焼するも、慶長5年(1600年)に関ケ原の戦において、神宝伝々の記述が見られる事から、程無く再建されたのであろう。
慶長11年(1606年)大垣城主 石川康道政俊公の刀奉納、同13年(1608年)幣殿、拝殿、舞殿が建てられる。慶安元年(1648年)大垣藩初代藩主 戸田氏鉄公により再建整備が行われるなど、江戸時代を通じて厚く信仰されてきた。
明治に入ると、神仏分離令により遮那院を分離、明治6年郷社に指定。同12年県社に列せられる。
昭和20年7月(1945年)に、大東亜戦争(太平洋戦争)による米軍の空襲により、社殿が焼失するも、氏子の熱誠により、同26年(1951年)本殿復興。同29年(1954年)拝殿復興。同30年(1955年)社務所復興、現在に至る。
~神社しおりより~
この神社は、大垣駅を南西へ300m程行った所に鎮座しています。

社頭です。

社号表です。社格は旧県社に列していました。現在は、神社庁長参内神社に指定されています。
神社庁長参内神社??初めて聞きます∑(-x-;)ナ、ナニッ?!
調べてみると、どうも岐阜県神社庁独自の社格みたいなものの様です。
なんでも、例祭などで神社本庁から献幣される際、県神社庁長が参内して奉幣行事を執り行う神社の事をその様に呼ぶのだそうです。そして、この奉幣行事は神社庁長の場合は金幣をもって行われるとの事で「金幣社」とも呼ばれているそうです。同じ理由から、支部長が参内する神社を「銀弊社」、部会長が参内する神社を「白弊社」と呼ぶそうです。

二の鳥居です。
この二の鳥居の脇には境内社の天満宮が鎮座しています。


参道を進み拝殿へ向かいます。

拝殿です。それでは、参拝を(-∧-;) ナムナム

拝殿の内部です。厳かな雰囲気が漂っていますね。

本殿です。桧皮葺の流造の様ですね。

こちらは拝殿となりの境内社、出雲神社です。

そして、こちらは同じく境内社の広瀬神社・龍田神社です。広瀬神社は水神、龍田神社は風神だそうですよ。

こちらは境内に咲いていた藤の花です。

綺麗ですね~(* ̄。 ̄*)ウットリ
あと、こちらは湧水が湧き出てる事でも有名だそうで、この時もたくさんの人が湧水を汲みにきていました。
その時の写真です・・・
・・・・・あれ??
・・・・・しゃ・・しゃしん・・
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